若きショーペンハウアーにおける「表象としての世界」の構想


― ショーペンハウアー研究の新視角を求めて(第一部) ―


鎌田 康男



目次

一 序説

二 ショーペンハウアー学生時代
 1 ゲッティンゲン時代
 2 ベルリン時代
 3 学位論文『根拠律の四つの根について』

三 「表象としての世界」の構想
 1 ドレスデン時代前期(1813 ― 1814)
 2 表象としての世界の基本構造
    ― ドレスデン時代後期から主著『意志と表象としての世界』成立へ ―



一 序説

 今年、1988年はショーペンハウアー生誕二百周年にあたる。ショーペンハウアーの思想の与えた広範な影響は、ニーチェやエドワルド・フォン・ハルトマン等に代表される狭義の哲学はもとより、トーマス・マン(文学)、ワーグナー(音楽)、ブルクハルト(歴史学)、フロイト(心理学)、グラーゼナップ(仏教学)といった、西欧近代文化史上重要な多くの人々におよんでいる。そして、19世紀後半から20世紀前半にわたって、当時流行したペシミズム、非合理主義の代表格として、盛んに議論された[1]。

 実際、近代の哲学者のうちで、これほど広い層に読まれ、影響を与えた人も稀である。しかしそれだけにその時々の議論を導く様々な問題関心のフィルターを通してみられることが多かったこと、殊に、ニーチェ、ワーグナー、トーマス・マンといった強い個性を持った人々の解釈の色づけを受けることになったということが、ショーペンハウアー研究に固有な困難の原因ともなっている。

 本稿の意図は、ショーペンハウアーの哲学を、その成立へと導いた根本経験から照明することである。そのために、第一部ではショーペンハウアーが「表象」をどのように理解していたかを明らかにする、という仕方で論を進めていきたい。「表象」という語は、ショーペンハウアー哲学の根本概念の一つといってよい。彼の主著『意志と表象としての世界』の本論は、「『世界はわたしの表象である。』 ― これは、生きて認識をいとなむものすべてに関して当てはまるひとつの真理である[2]」。という文で始まっている。更に、表象は、物自体としての意志が現象したものである、ともいわれる[3]。これらの言葉から予想されるショーペンハウアーの世界観は、(一見)きわめて明快であり、それがまたショーペンハウアー哲学の影響を広いものとしてのである。しかし、「表象」ないし「現象」という語は、この引用によって当面描かれ、一般に行き渡っているショーペンハウアー像の枠を超えて、ショーペンハウアー哲学の成立時の文化史的、哲学的な問題状況に根ざした問題を含んでいる。それは哲学においてはカントからドイツ観念論へという発展を貫く根本問題に関わるものである。では、ショーペンハウアー哲学の成立した時代、19世紀初頭の精神状況、ことに哲学的な問題関心は、どのようなものであっただろうか。

 西洋近代にあっては、中世キリスト教文化を支配した神の秩序が次第に自明のものでなくなっていった。このキリスト教の伝統は、人間のアイデンティティーを二重の意味で保証していたのである。すなわち、第一に人間の個としてのアイデンティティー、第二に人間の共同性のアイデンティティーである。個としての人間のアイデンティティーを脅かす最大の危機は死であるが、これに対してキリスト教は永遠の命の教えによって答えた。また共同性のアイデンティティーを脅かす最大の危険は、共同性を無視し、破壊する自己中心主義であるが、これをキリスト教は罪の本質とみなし、隣人と神への愛の共同性(教会)によって克服しようとしてのであった。そして、この両者が、真に存在する世界創造者としての神を軸に、死(個の否定)の起源としての罪(共同性の否定)と、愛(共同性の肯定)による死の克服(個の肯定)という全体へ統合されることにより、唯一の神の救済史の秩序が支えられていたのである。「それ罪の払う購いは死なり、しかれど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありてうくる永遠の命なり。[4]」

 従って、近代にいたってそのような神の秩序が次第に自明なものでなくなったということは、人間の個体性と共同性のアイデンティティーがともに危機に瀕するということを意味する。そのような危機意識は、心情的にはすでにジョン・バンヤンの『天路歴程』の主人公クリスチャンが体現するところであった。そして、ものの根源的なあり方、すなわち物自体の認識を不可能であるとし、ただ人間の認識能力によって掬いとられ、表象のネットワークの中で構成されたもの(現象)のみを認識できるとしたカントの哲学の立場は、一方では自然と道徳とを理性のアプリオリな学(超越論的哲学)の確立によって意識内在的に基礎づけるという成果をあげつつも、他方では意識に現象するものの背後に真に存在する物自体は把握できない、とすることによって、当時そのような二重の意味でのアイデンティティーの崩壊の不安をいっそう強めることにもなったのである。というのは、意識は当面個の意識であり、人間が掬いとる現象としてのものはすべて個の意識の内部にあるならば、個を越えた共同性のアイデンティティー(意味)を保証するものがなくなり、すべては自己意識のアイデンティティーに解消されてしまうばかりでなく、個を、そのアイデンティティーの最大の危機(死)から救い出すことのできるものもなくなってしまうからである。実際カントは、伝統的キリスト教にあって二様のアイデンティティーを保証するもの、神の存在と魂の不死とは、理論的には証明不可能である、と宣言したのである。

 人間理性は、人間の個体性および共同性のアイデンティティーを保証するような根源的な存在にいたろうと熱望するにもかかわらず、それを認識することができない、という矛盾をどのように解決するかという問いは、知と信仰との対立の問題として長い伝統を持つものである。しかしその問いは、カント哲学をくぐり抜けることで意識の内在と超越の問題へと先鋭化され、以後ドイツ19世紀前半の哲学を導く重要な主題となる。

 その問いに対して、当面二通りの打開策が試みられた。すなわち第一は、「人間理性の認識によって把握することのできない真の存在自体には、別にどのような仕方で到達することができるか」、という方向へ問い進めるものであり、ヤコービに代表される。ヤコービは、伝統的形而上学的な存在理解、すなわち真(自体的)に存在する根源実体を前提し、思考と異なる感情を存在にいたる通路と考えたのである。これに対して第二は、「真の存在を形而上学的な実体(自体)的存在と解する限りこれを把握することができないとするならば、把握するためには存在をどのようなものと考えればよいか」、という方向へ問い進めるものであり、フィヒテの歩んだ道である。フィヒテは、存在の真の意味を、自体的な存在としてではなく、主観の自己規定によって構成されるもの(事行、Tathandlung)と考えた。フィヒテ的な発想に従えば、真の存在を、感情という通路によって到達すると考えること自身が、まさに概念的な思考である限り、その真の存在自体性が、単なる思考にとっての自体性にとどまるものであり、思考の背後の存在自体について語ることはできないからである。こうしたフィヒテの存在理解は、ヤコービからは、真の存在自体という地盤を失ってしまった(無を地盤としている)無神論、ニヒリズムと決めつけられ、イエナ大学辞職にまで追い込まれるのであるが、このフィヒテとヤコービの論争は、カント以降の哲学の問題を浮き彫りにしているのである。

 再び先に述べた二通りのアイデンティティーの問題に立ち返って考えると、このフィヒテの主観的な存在理解は、人間の共同性の規範を構成するという仕方で、共同性のアイデンティティーを保証することはできるが、死によって脅かされる個としての人間のアイデンティティーまでをも保証することはできない。そのためには、結局主観的な存在構築という枠内で、自体的な存在をも取り込む、という仕方によらねばならない。実際カントが実践理性批判で行った魂の不死と神の存在の要請も、そのような意味あいを有するものである。しかしその場合、すでに述べたように、神の存在と魂の不死とは、理論的には証明できないということが前提されている。ところが伝統的なキリスト教の救済は、神と魂の存在が自体(実体)的に理解されることによってのみ効力を有するものである。そのために、この議論は、伝統的形而上学的な存在理解を前提する哲学者にとっては、到底満足できるものではなかった。例えばヤコービの後を受けてエーネシデムス・シュルツェは、カントの道徳神学は、恣意的な力尽くの宣言(Machtsprueche)であると非難したのである[5]。とはいえ、カントの形而上学批判の後で、根源的実体としての存在者をナイーヴに把握可能であると前提することもできない。このシュルツェのカント批判の意義はむしろ、カント・ラインホルトの延長線上に、存在を主観の自己規定として構築しようとするフィヒテ等の観念論を導く意志の思想を先取りして批判した、という点に認めるべきものであり、だからこそフィヒテは彼の知識学のプログラムをシュルツェ批判によって始めねばならなかったのである[6]。

 フィヒテを継承・発展させたシェリングの意図も、人間の絶対的な自己規定・存在規定を、その到達点であるべき絶対的規定としての存在から振り返って、その規定のプロセスを、絶対者の現象のプロセスへと組み替えることにより、ナイーヴな前提によらずに真の実体としての根源的存在者に到達することであったと解される。個の二つの契機、人間の絶対的な自己規定・存在規定と、絶対的存在の現象過程とを、絶対精神の運動へと一元化したのが、ヘーゲルである。

 視野を狭義の哲学から転じてみれば、政治史の次元では、共同性のアイデンティティー確保のために個としての人間の自由を拘束する絶対主義と、個としての人間のアイデンティティーの確立の条件である自由の絶対化の帰結としての恐怖政治という両極端の出来事も、記憶に生々しく残っている時代である。また、文学史的には存在(自然)の自体的秩序に肉薄するために、感情を通路とするシュトルム・ウント・ドランクや、聴き取る(Vernehmen)能力として理解された理性(vernunft)を通路とする古典主義に対しては、人間の自己構築・存在構築としての初期ロマン主義運動が勃興する。これも、哲学においてはヤコービとフィヒテとが争った、同じ問題に関わるものと考えられる。もっとも文学は哲学のような概念的抽象化を目標とするものではないため、実際には上記の存在理解の二契機の区別がある文学運動の方向を一義的に決定するというより、むしろそれぞれの運動の内部で両契機が意識的に区別されぬままに競合するという事態が起こっていると思われる。今はこのような哲学史的な視角からのドイツ文学史の再構成の可能性を提示するにとどめて置くが、このことだけからでも、カントからドイツ観念論へという哲学の流れが、当時の精神史・社会史と呼応関係にあることが察知される。

 これまでにスケッチした19世紀初頭の精神状況からして、通俗的なショーペンハウアー理解、すなわち世界は知性を持たない意志実体、神から知性を抜き取った世界原因のようなものが、表象という秩序を持った世界へと現象する、といった形而上学的世界観と、生の根源は自己保存の衝動であるという生理学的ないし心理学的な人間から合成されるようなショーペンハウアー像は、いかにも似つかわしくないものに見える。そのような懸念は、次のような事情によっても支持されるであろう。

 第一に、学位論文『根拠律の四つの根について』より四年前に出版され、若きショーペンハウアーも熟知していたシェリングの『自由論』(1809)に、「意志が原存在(Ursein)である[7]」、といった表現がみられる。しかし、この書でシェリングは、自体的な存在(Grund)と、存在構築(Existenz)という異なる存在理解を調停するという難問に真っ正面から取り組み、これに、前述のキリスト教的観点から見られた人間の個としての、および共同性としてのアイデンティティーの問題を重ねあわせる。そのコンテキストで神のもとでの人間の自由、殊に悪の可能性との関係を論ずるのである。従って、そこでも存在は自体的な存在として一面的に理解されていない。むしろそのような自体的な存在を「死んだ存在」と見、これに生きいきとした精神の存在構築によって精気を与える(begeistern)ことを目ざしたのであった。存在構築こそが、原存在としての意志の真の意味なのである。更にフィヒテも、1812年の『知識学』講義で意志と現象との関係に論究するが、意志を現象の背後の実体としてではなく、現象が自己生起する運動の契機と考えている[8]。ショーペンハウアーは、この講義を聴き、彼の学生時代唯一の詳しい講義ノートをとっている[9]。

 第二に、意志の現象としての世界、というプログラムは、彼の主著『意志と表象としての世界』の基本構想が煮詰まってくる1814年半ば以降に現れるのであり、ショーペンハウアーの根本思想の生成にとってはむしろ副次的な役割しか持たない。ここでは、意志を知性を持たない非合理的な世界実体と解釈することがショーペンハウアー哲学の意を尽くすものではないことを指摘するだけにして、この問題については、第二部『若きショーペンハウアーの「意志としての世界」の構想』において立ち入ってみたいと思う。

 第三に、19世紀後半のショーペンハウアー受容史にあって、意志を実体的な世界原因として解釈したときに、様々な内部矛盾が指摘されたということからも、通俗的なショーペンハウアー像を再検討して、新たなショーペンハウアー解釈の視角を獲得することの必要性が認識されるのである。これまでに指摘された内部矛盾は、ほぼ次のような三つのタイプに分類できる。第一のタイプは、いわゆる「ツェラーの円環」と呼ばれるものである。すなわち、ショーペンハウアーはある時には表象作用を脳作用(自然)の産物とし、ある時には脳を含めた自然を表象作用の産物とする、という矛盾を犯している、という批判である。これは、カントからドイツ観念論に至る哲学にあっては、主観・客観関係ないし個と普遍との関係として考えられた問題に対応する。ただしそこでは主観・客観ないし個別者と普遍者という二つの実体の関係を後から問うのではなく、両者の根源的相互媒介の問題として考えた。「ツェラーの円環」は、そのような哲学史的背景を考慮しないところに生じてきた批判である。そこに指摘される矛盾は、本稿第三章において、若きショーペンハウアーの「表象としての世界」の構想を示すことによって解消されるであろう。第二のタイプは、意志の現象に関する批判である。すなわち、もし意志という、盲目で知性を持たない、非合理的な実体しか存在しないのならば、表象の世界の秩序はいったい何に由来するのであるか、という反論である。第三に、意志の否定についての批判のタイプがある。もし意志が世界の根源的な実体、真に存在するものであるならば、世界にいやしくも何者かが存在し、全くの無でない限り、そのような意志が自らを否定することは不可能である、また、意志が自らを否定しようと意志するならば、依然として(否定を)意志しており、意志自身の否定は起こり得ない。という批判である。まさにこの二つのタイプの批判は、カントの哲学では、それまでの形而上学で前提されていた真の存在としての実体(物自体)がもはや自明なものでなくなった、という経験が出発点となっている、ということを充分に考慮せず、ショーペンハウアーの意志を直ちに実体的世界原因と解釈したために生じてきたものである。これらの問いは、第二部で「意志としての世界」の構想を述べるところで答えられるであろう。

 これまでに述べたことを振り返ってみるならば、本論に入るにあたって、少なくとも次のことが言えるであろう。すなわち、ショーペンハウアー哲学成立の背景となる精神状況から見ても、また従来のショーペンハウアー哲学成立の背景となる精神状況から見ても、また従来のショーペンハウアー解釈から帰結する内部矛盾に着目しても、ショーペンハウアーの「表象」は、実体としての意志の現象のことであると前提することはできず、むしろそのような形而上学的な実体主義を超えようとする意図を持って使われているということである。そうであるならば、「表象」という語の意味を、ショーペンハウアー哲学の成立というコンテキストによって照明するにあたって、同時にショーペンハウアーが「意志は物自体である」、と言う場合の物自体の意味を再検討しなければならないであろうし、またショーペンハウアーが実体主義を超えつつも、カント以来危機に瀕した人間の二重のアイデンティティーの問題を、どのような仕方で解決しようとしたか、という点に着目しなければならないであろう。

二 ショーペンハウアー学生時代

 1 ゲッティンゲン時代

 ショーペンハウアーは、父の仕事を受け継ぐべく実業家としての教育を受けたが、父の死後1809年ゲッティンゲン大学に入学、医学部に在籍しながら様々な分野の学問を学んだ。翌1810年、前述のエーネンシデムス・シュルツェがゲッティンゲンに来ると、彼の下で哲学の勉強に没頭する。そして1811年に医学部から哲学部に移るにあたって、ベルリンのフィヒテのところへ行くことになる。この若きショーペンハウアーの哲学の師がシュルツェとフィヒテであったということから既に十分予想されるように、若きショーペンハウアーの思索の歩みを追ってみると、そこには序論で述べたような19世紀初頭を特徴づける問題、二重の意味での人間のアイデンティティーの喪失についての危機意識が明らかに認められる。

 ショーペンハウアーの関心を捕らえていたのは、うつろいゆく時間の支配する現象世界に生きる苦悩、殊に死すべき存在として経験されたこのアイデンティティーの危機の意識であった。ゲッティンゲンでの勉強を始める直前にかかれた断片からは、そのような苦悩からの解放の道としてショーペンハウアーが哲学に期待をよせていたことが窺われる。「すべての哲学と、哲学が与える慰めとは、結局次のようなものである。すなわち、精神の世界が存在し、そこで我々は外界のすべての現象から離れて、それらの現象を高いところから大いなる静けさをもって、とらわれることなく眺めることができるということである。たとえ、我々の物質界に属する部分がどんなに現象界にふりまわされても。[10]」

 この精神界と現象界との区別は、心の平静(tranquilitas animi)という心の持ちかた、ないし生き方にかかわる限り、現象界から精神界への意向は、無関心な観照へとひきこもることによって、直ちに実現される。しかし、この区別は、形而上学的・宗教的な「無限者」というものに向かうことになる。ショーペンハウアーは「有限な存在をあらゆる瞬間に生かし続ける永遠の真理[11]」という表現をしている。このような関心から哲学に志した若きショーペンハウアーにシュルツェが勧めたのは、まずカントとプラトンとをじっくり学ぶことであった。

 この頃に書かれた断片の中に、ショーペンハウアーがプラトンのイデアについて述べている部分がある。それは、その後主著『意志と表象としての世界』にまで発展してゆくイデア観の出発点とも言えるものである。まず第一にショーペンハウアーは古代から近代に至る伝統的なイデア理解を支配する二つのアスペクト、すなわち人間が「自然の中にあるものの諸形式から得るイデー」(idea post rem)と、「我々の内面にあって、感性界に対象を持たぬイデー[12]」(idea ante rem)とを区別する。前者は人間の抽象作用によって得られたもの、後者は神が直接与えたものである、とされる。第二にショーペンハウアーはおそらくはシェリングの影響下に、人間の抽象作用によって作られたイデーを、同じく抽象によって得られる類概念(Generalbegriff)から区別する。概念は、悟性が「一定の目的に役立つような本質を取り出し」、かくしていわば自分の目的にかなったものの本質を想像し、把握するための道具である。これに対してイデーは、そのような関心によるものでなく、無関心な現象世界の観照を通して得られるものの本質であるといわれる。[13]ショーペンハウアーはこの段階では、イデーと概念の問題をそれ以上掘り下げない。しかし、19世紀初頭に主題となった二つの存在理解の視点、実体としての存在と主観の存在構築という視点が、はっきりと意識されていることがわかる。アイデンティティーの危機を自分自身の問題として受けとめるショーペンハウアーは、この時期には伝統的な実体としての存在理解の側に留まっている。概念のように人が作る本質は、造るものの関心に応じて造り直すことができるものであり、それが人間の創造物として実現され、貫徹されても、その「造られた」ものの持つ有限性は常に残る。これに対して、自然を観照する際取り出されるイデアは、そのような関心の恣意的な性格を帯びず、普遍かつ普遍であり、それゆえ永遠なものと言えるのである。この永遠性を、若きショーペンハウアーは結局実在する無限者、最高実体としての神の無限性と結びつける。自然の観照によって得られるイデーは、神的なものがそのイデーを直接ではなく、自然の言葉を通して我々に告知したものである、と考えるのである。そこには中世以来の「恩寵の光」と「自然の光」との対応が認められる。

 この時期のショーペンハウアーは、カントにきわめて批判的である。プラトンを「神的なプラトン」と呼ぶ一方、「カントの理性の統制的使用は、人間理性の生み出したものの中で一番ひどいものだ」と非難する[14]。それは、人間によって造られた理性概念としてのイデーが、真に存在する無限者に至りえないということによって強まる、あの二重の意味でのアイデンティティーの危機に対する不満の表現と解される。

 しかしそのようにカントを非難してみても、現象界の観照が神的なもの、真に存在するものへの通路であるという根拠は与えられない。物自体の認識は不可能であるというカントの立場は、いっそう確かなもののように思われ、伝統的な存在理解に基づいた、真の存在者への通路は閉ざされていることが、いよいよ動かし難いことと思われてくる。そのときに改めて、人間の実践的な自己規定・存在構築によって、意志の自由、魂の不死、神の存在の問題を思考の圏域に取り込もうとするカント哲学が、結局唯一の道、唯一の希望であると考えるに至るのである。そこではただ「実践的な意図において」、つまり人間の行為の意味の公正に不可欠であるという理由で、自由、不死、神が要請されるが、理論的にはそれらを証明できない、という断り書きがある。それにもかかわらず、それはどこかでまた神を軸とした人間の二重の意味でのアイデンティティーの確立へと至る通路であるかもしれない、という希望を持たせるのである。

 1811年の冬学期から哲学部に移籍するにあたって、フィヒテのいるベルリンへ行くことを決意したのは、ショーペンハウアーに、フィヒテこそカント哲学を発展させた哲学者であるという期待があったからである。

 2 ベルリン時代

 ベルリンでカントを読み、フィヒテの講義を聴くうちにショーペンハウアーは、それまで単に通路の問題と思っていた真なる存在、絶対者の存在自身に疑問を持ち始める。シェリングの読書ノートに書き留められた次の断片は、そのようなカント・フィヒテ的な考えの受容を示している。「絶対者とは、我々にとって何かが存在するための、あるいは認識されるための制約から独立しているような存在の概念である。それゆえ問題なのは、存在と認識されうることとに相違があるのか、認識できるということを除いて、なお存在が残るのか、主観と客観との背後にまだ何者かが存在するのか、ということである。[15]」この問題をめぐって、ショーペンハウアーの立場は激しく揺れ動く。一方ではショーペンハウアーは真に存在する物自体への熱望を抑えることができない。概念の能力とは「別の能力」があることは、純粋理性批判でも支持されていると考え、その「別の能力」をカントを突き抜けてまたもやシェリングの「知的直観」に求める[16]。知的直観において主観客観の分裂した有限な時の流れから心の内奥へと引きこもり、そこに永遠なるものを見ようとするのである。この能力をショーペンハウアーは「よりよい意識(besseres Bewusstsein)」と呼ぶ。「よりよい意識」という用語は、その表現だけを残して内容的には変化してゆくが、共通しているのは、現象界の形式(殊に時間性と、主観客観の分裂)に拘束されない永遠・無限な存在を捉えようとする姿勢である。

 他方、「主観と客観との背後にまだ何者かが存在するのか」という問いに対して、ショーペンハウアーは同時に全く逆の解答も試みる。「存在とは、主観にとって客観であること、または客観にとって主観であること」に過ぎない、というものである[17]。こうしてベルリン時代のショーペンハウアーの思索は、二つの存在理解、意識に内在する表象存在と、表象を超越する実体的存在との間を行きつ戻りつする。しかし、その動揺を通じて、次第に表象を超越する「よりよい意識」の内容が消極的なものになってゆく。表象を超えるものは、表象に属する言葉で表すことができず、それは我々にとっては「無である、否、そのようなものは全然存在しない[18]」とまでいわれる。

 真に存在するものへの熱望によって成立した「よりよい意識」は、結局通路を絶たれ、関心に縛られない観照および、実践的な自由意志による自己・存在構築の次元に押し戻される。もちろんショーペンハウアーは、ここでもまだ観照と意志とがどこかで再び真なる存在へと通じるのだという希望を捨てていない。しかしショーペンハウアーは、そのような通路を発見するために、カントにならってこのあたりで表象存在と、それが成立する経験的な意識とのあり方を検討し、その制約と限界とを確定せねばならないと考えるようになる。学位論文『根拠律の四つの根について』は、そのような意図を持って構想されるのであるが、実際には次節で見るように、本来の意図を超えて、「よりよい意識」と経験的な意識との区別をも、意識の内在的な同一性、すなわち表象存在へと解消することになる。すなわち、このアイデンティティーを自己意識の統一そのものと見るようになるのである。そのことによって、ショーペンハウアーは伝統的・実体主義的な存在理解を最終的に放棄することになる。その後の彼の思索は、人間の認識と実践の共同性(世界)のアイデンティティー、および個としての人間のアイデンティティーを保証する新たな解決を求める、という点に向けられてゆくのである。

 3 学位論文『根拠律の四つの根について』

 ナポレオン体制の衰退とともに解放戦争のきざしが目に見えてきた1813年の春、ショーペンハウアーはベルリンを去り、ルードルシュタットに引きこもって学位論文を完成、近くのイエナ大学に提出して十月に博士号を受ける。

 学位論文『根拠律の四つの根について[19]』においてショーペンハウアーは表象の問題を意識の内在という立場から徹底的に考え抜こうとする。存在とは、主観に対する客観とというあり方のことである、という立場を堅持するのである。「我々の意識は、それが感性、悟性、理性として顕われる限り、主観と客観とに分かれる。・・・・・主観にとって客観である、ということと、我々の表象である、ということとは同じことである。・・・・・それ自身で存続し、独立しているもの、ひとつだけで切り放されているものは、我々にとって客観となり得ないのであって、すべての我々の表象はひとつの規則に従い、形式に関してアプリオリに規定される結合のうちにある。[20]」そしてこの主観・客観の相関関係の背後に回ることは決してできない。なぜならば「根拠律と、ただ根拠律によって正当に発せられる問いは、既に主観・客観、さらにその形式と法則とを前提とするからである[21]。」ここには、カント、ことにラインホルトのエレメンタール・フィロゾフィーを経由した表象理解が明らかに認められる。ラインホルトは、「意識の中で表象は主観によって主観と客観とから区別され、両者に関係づけられる[22]」、という命題から出発して、主観・客観関係を純粋に意識内部で、表象の契機として捉えている。この表象の立場は、主著『意志と表象としての世界』でも堅持される。「我々は客観からも主観からも出発しないで、表象から出発した。表象は客観と主観のこの両方を既に含んでいて、両方を前提としている[23]。」ちなみにショーペンハウアーの最初の師シュルツェの『エーネシデムス』は、ラインホルトの『エレメンタール・フィロゾフィーの主要契機の新叙述』(1790)を逐語的に引用・批判しているので、これはショーペンハウアーがシュルツェに勧められてカントを勉強したときに真っ先に読んだ本であろう。また、哲学を専攻するにあたっては、ショーペンハウアーはラインホルトの義父であった文人ヴィーラントの助言を受けている。これらのことからも、ショーペンハウアーがラインホルトを経由してカントを理解していることが予想される。

 さて、意識外に存在する実体としての対象(物自体)を排除して、意識内で意識の契機として相互に対応する主観と客観のみを認める場合、実際の経験認識はどのように理解されるべきであろうか。以下に、やや難解ではあるが、学位論文『根拠律の四つの根について』によって、経験の基本構造をスケッチしてみよう。ショーペンハウアーは意識を構成する二つの契機として、意識に直接顕現する明瞭な表象(unmittelbare Gegenwart der deutlichen Vorstellung)と、その背景をなす経験全体の表象(Gesamtvorstellung)とを区別する。

 意識にはある主観にただひとつの表象しか顕現しない。というのは、カント哲学の伝統によれば「時間がすべての現象のアプリオリな制約[24]」である、すなわちひとつひとつのまとまった表象(群)が次々と顕現するのであって、一度に多くの異質な表象が顕現することはあり得ないからである。それが、自己意識のアイデンティティーとして表現されているのである。ある現象が記憶や想像の産物ではなく、実際に知覚されたものである、ということは、そのときどきに意識される内容(表象)が経験全体の表象と結合され、その中に組み込まれることができる、と言うことと同じことである。ショーペンハウアーは、背景としての「全体表象」こそが、ふだん「実在的な客観世界」と呼ばれているものである、と言う。

 そのような訳で、個々の表象が経験の対象として顕現する(認識される)時には、その背景には常に経験全体の表象が想定されている。個々の表象がこの全体表象のコンテキストに当てはまる場合に、経験の対象であると認定される。経験の対象であると認定されると同時に、個々の表象は経験の全体表象に結合され、組み込まれる。こうして経験の全体表象(客観的世界)は充実してゆく[25]。この全体表象の潜在性(Vorgestelltwerden kata dynamin) と直観的表象の顕現(Vorgestelltwerden kat' entelecheian)との相互依存的な関係が経験の基本構造であり、この関係全体の秩序(可能性の形式的制約)が「因果性」なのである。因果性とは、空間的な全体表象の状態が時間とともに変化することである[26]。

 経験認識をこのように定義することは、一般的な経験理解とは異なる。常識的には、表象とは意識の外にある客観的な対象が、意識の内部に造る像であると考えられることが多い。そのような意識の外にあって意識を超越した対象(物自体)を前提すれば、たしかに表象のアイデンティティー(統一性および安定性)を保証できる。しかしカントの批判哲学を経た後は、そのようなナイーヴな認識論的前提から出発することはできない。とはいえ、逆に表象のアイデンティティーを意識のアイデンティティーから説明しようとすると、「すべては意識の恣意に委ねられるのではないだろうか、その場合、経験の対象(現象)の統一性・安定性は、どのようにして保証されるのであろうか」、という疑問が生じてくる。かくして、物自体を前提することの本当の意味は、その対象が意識の外に真に(自体的に)存在するということ自身ではなく、経験認識の対象(現象)の統一と安定とを保証することである、ということが明らかになる。意識を超越する、とは、意識の外に超えでることではなく、主観的意識の恣意を超える、ということなのである。このような物自体概念の読み替えは、ショーペンハウアーが学位論文『根拠律の四つの根について』の直後にいったん放棄した物自体の概念を後に再び導入して、プラトン的イデーや意志を物自体と呼ぶ場合に実際に起こっている。従って、単にショーペンハウアーが物自体を否定した、あるいは再び肯定した、ということだけからショーペンハウアーの思索の歩みを明らかにすることはできない。むしろ、そのような歩みの下となっている概念の意味内容の変化を明らかにすることが必要なのである。ちなみに、ショーペンハウアーの思索の成立期には、そのような読み替えが「イデー」、「よりよい意識」、「物自体」、「表象」、「意志」などの基本概念についても起こっていることに留意しなければならない。

 さて、上に述べたように、ショーペンハウアーが意識に直接顕現する明瞭な表象と、その背景をなす経験全体の表象という二つの契機を区別したのは、意識を超越した対象(物自体)を前提せずに、現象が個々の認識主体、および認識主体の共同性にとって普遍的な拘束力を有するということを示すためである。もしこの経験の二重の普遍性が意識内在的に保証されるならば、意識を超越した対象の存在を前提する必要もなくなるであろう。このような徹底した意識内在の立場は、哲学的にもカント・ラインホルトの立場を押し進めるものであると同時に、後のフッサールの超越論的哲学的現象学へと連なる思考である。

 ところで、ある明瞭な表象が意識に直接顕現する、とは、どういうことであろうか。ショーペンハウアーは、これを身体の問題として考えている。身体は、一方ではそれ自身知覚の対象としてはほかの対象と同じく意識に顕現し、または背景としての全体表象に組み込まれて、ほかの対象と空間的な関係を保っている。しかし他方では、身体感覚として意識、この場合は時間意識(内観)に直接与えられている。身体は、そのように空間(経験の全体)と時間(意識のアイデンティティー)とを結びあわせ、また両者の統一系を支えるものであるといえる。それゆえショーペンハウアーは、身体を「直接客観(unmittelbares Objekt)」と呼ぶ。全体表象に属する表象(身体が対象的に認識される場合を含む)が意識に直接顕現する、とは、いわばその表象が身体を原点とする座標系に組み込まれる、ということである。

 ここで、因果性と身体がともに、時間と空間を結合するものである、とされていることに注意しておきたい。因果性と身体とは、経験の構造をそれぞれ認識の対象および認識の主観の側から叙述するときに取り出された要素である。この時期のショーペンハウアーの考えによれば、存在とは主観にとっての客観というあり方のことであり、その限り客観と主観とは常に相関関係にある。従って一方(経験認識の対象)の視点からでも、他(経験認識の主観)の視点からでも、経験の構造を叙述し尽くすことができることになる。このような見方も、カントがあらゆる総合判断の最高原理として表明したこと、「経験一般の可能性の制約は、同時に経験の対象の可能性の制約である[27]」という立場に従ったものである。

三 「表象としての世界」の構想

 1 ドレスデン時代前期(1813 ― 1814)

 学位を得た若きショーペンハウアーは、母ヨハンナ・ショーペンハウアーの住むヴァイマールに赴く。ヨハンナは当時名の知られた流行作家であって、そのサロンには大勢の文人が出入りしていたという。そこでショーペンハウアーはゲーテと親しく交わるようになる。またインド学者フリードリッヒ・マイヤーを通して、古代インド哲学を知り、またデュペロンのラテン語訳によるウパニシャッドを読む。だが、母との不和から翌年にはドレスデンに移り住む。ドレスデン時代の前半は、学位論文『根拠律の四つの根について』の立場を発展させながら、次第に主著『意志と表象としての世界』(1818年3月完成)の構想が煮詰まってゆく時期である。

 学位論文『根拠律の四つの根について』では、ショーペンハウアー表象の立場を徹底させ、その基本的な枠組みを確立しようとした。これまでに意識に直接顕現する明瞭な表象と、その背景をなす全体表象との相互依存ということによって、経験のアイデンティティーを示すことができ、また、全体表象の秩序を因果性として、意識に顕現する明瞭な表象の直接性を身体との関係から説明することができた。しかし、まだ様々な問題が未解決のままである。

 第一に、意識に直接顕現する表象が、ひとつの明瞭なかたちを有する表象(群)であるための条件は、まだ示されていない。例えば、なぜ木という表象は常に幹、枝、葉、花、実、更に見えない根の部分までを含む統一体として表象されるのであろうか。なぜその木が根を下ろしている土や、梢の鳥の巣を木の一部と考えたり、逆に葉を枝や幹から切り放して、鳥や虫が枝にとまるように葉が偶然枝にとまっていると考えることがないのであろうか。(もっともこの表象の安定性を逆手に取ったところに、蓑虫の命がかかっているのであるが)

 第二に、これまで言われてきたのは、個々の意識にとっての経験の統一と安定の問題であって、個としての人間のアイデンティティーだけが問題になっている。その木の表象の統一と安定が他の人間にとっても普遍的な拘束力を有するということ、つまり人間の認識の共同性のアイデンティティーの可能性については、ショーペンハウアーはこの段階では「我々すべてに共通する全体表象[28]」という一言で片づけてしまう。

 これらの疑問も、意識の外にある物自体を想定すれば、簡単に説明できることは、前に見たとおりである。むしろ、このような疑問に答えるために、外界の対照の存在を前提としなくてはならなかったのである。しかし、意識内在的な表象の立場に留まるとすると、これらの問いにどのように答えることができるであろうか。

 西洋哲学の歴史の中では、外界に実在する物自体を想定するほかに、経験の対象および世界の統一と安定とを説明するもう一つのタイプがある。それはプラトンに発するイデア論の伝統である。イデアは、心の目で見られた超感性的・根源的な、ものの原像であり、神的な起源をもつものとされた。真に存在するのは、イデアである。このようなイデア理解は、ゲッティンゲン時代のショーペンハウアーにも認められた。既に第二章第一節で見たように、ショーペンハウアーも、自然のうちに観て取られるイデーは神が自然の言葉を通して語りかけたものである、と考えた。これに対して、肉眼で見られる個々の対象は、根源的なイデアの不完全な模様に過ぎないとされたのである。しかし、今やカント哲学の立場に立ったショーペンハウアーには、意識を超えた神的な存在者を独断的に前提することができない。実体的存在として理解された物自体が放棄されるとともに避けられなくなる問い、「存在を把握するためには、存在をどのようなものと考えればよいか」、という問いに直面して、ショーペンハウアーはドイツ観念論な存在の実践的構築、という方向に活路を求める。この新しい存在理解のコンテキストで、「イデー」および「よりよい意識」の読み替えも起こる。イデーとは、理性が構築する存在の秩序全体(個および共同性のアイデンティティー)の理念であり、よりよい意識とは、この存在の秩序とひとつのものとなった意識である。これは、ドイツ観念論、殊にヘーゲルによって完成される「精神」の概念に対応するものと考えられる。ヘーゲルは、精神を「自己自身を世界として、世界を自己自身として意識する[29]」自己意識として想定している。

 『根拠律の四つの根について』完成直後のヴァイマールの草稿(1813年12月によれば、「イデーとは、理性に向かってよりよい意識を示してくれるような概念の全体である。従って、よりよい意識を概念の全体から切り離すことはできない。・・・・・ひとつのイデーのためには、人は喜んで死に赴く。そして、そのような死こそは最高の徳である[30]。」この理性のイデーに向かって個々の自己意識とその対象(表象)とが規定され、秩序づけられて、本来のあり方に到達する。しかしこのようなイデー理解では、個々の対象のアイデンティティーの問題が素通りされ、対象の全体の秩序を概念によって構築するという問題にすり替えられてしまっている。

 他方、シュルツェにも学んだショーペンハウアーには、経験世界の対象の統一と安定とを保証するべきイデーを主観の概念操作によって構築するという、フィヒテ以降のドイツ観念論が歩んだ道も、意識の恣意による「力尽くの宣言」に過ぎないという懸念が拭い去れなかったと思われる。そのように主観によって構築した存在の秩序が世界を完全に支配するまでに貫徹されれれば、世界の統一を説明し、また実現することは可能である。そのような意味では、ドイツ観念論は、「造るものは造られたものを自由に支配できる」、という、キリスト教(神の創造)から近代の社会観(人間の労働)におよぶ西欧の思考の伝統に沿うものである。しかし、それは結局、知的なレベルで遂行された全体主義、知的な恐怖政治(テロ)になりかねない。この問題は、ショーペンハウアーがゲッティンゲン時代に、イデーを概念と区別して、概念は一定の目的(ここで存在全体が問題となっている以上、最終的には主観による存在構築・存在支配という目的)に役立つような本質を想像するための道具である、と述べたときに念頭にあったものであっただろう。

 そのような訳で、ドイツ観念論的な存在構築の目的としてイデーを解釈する、という方向はまもなく放棄される。しかし、それは新たな問題を引き起こす。かつてゲッティンゲン時代に、存在構築の道具としての概念にイデーを対立させたときには、ショーペンハウアーはまだイデーの源泉として神的な存在を前提することができた。しかし、『根拠律の四つの根について』を経たいまは、そのような意識を超えた実体的な存在に立ち戻ることもできない。1814年の初め、ヴァイマールでもショーペンハウアーは、学位論文の立場を繰り返して、「表象されることなくして存在するような、つまり表象とは別の何物かであるような物自体、そのようなものを表象するということよりも大きな矛盾はありえない[31]」、と記している。実体的な存在と、主観による存在の構築とをともに排除した結果残るのは、「自然の中にあるものの諸形式から得るイデー」という定義だけであるが、その場合の自然の中にある個々の対象のアイデンティティーを保証する物自体(神的実体ないし意識外に存在する対象)もなく、またこれを構築する主観の恣意的な権力行使も排除されてしまったからには、なんの支えもなくなってしまう。イデーが空疎な言葉にならぬためには、個々の対象の同一性と安定性とを保証するイデーの存立の基盤を、意識の内在的な統一を徹底させる立場、すなわち表象の立場から明らかにしなければならない。

 表象の立場を徹底させる、とは、意識の外にあるものをいっさい前提としない、すべてを意識の統一性の内部の表象として考える、ということである。従って、イデーを表象の立場から明らかにする、とは、イデーをも表象と考えた上で、両者の関係を明らかにすることである。ところで、空間的な形をもった(直観される)表象のうちで、意識に直接与えられる表象は、身体との関係によって時間・空間的な存在として経験された個々の対象である。これに対してイデーは直観される表象であるが、一定の瞬間に身体との関係によって意識に直接与えられる表象ではない。つまり、想像力(構想力、Einbildungsksraft)によって生み出される表象(ファンタスマ、Phantasma)ということになる。それにもかかわらず、イデーは経験される個々の対象のアイデンティティーを保証する原像としての役割を持たねばならない。プラトン的イデーとは、想像力の生み出したファンタスマのうちで、理性が普遍的な表象(原像)であると認めたものなのである。「プラトン的イデーとは、もともと理性の居合わせたところで生ずるファンタスマ(ein Phantasma in Gegenwart der Vernunft)である。それは理性が普遍性の捺印を施したファンタスマである。・・・・・プラトン的イデーとは、想像力と理性との共同の働きによって生じる[32]。」イデーについてのこの基本的な見解は、主著[33]にも繰り返されている。イデーはファンタスマであるから、構想力によって常に呼び出す(現在化する vergegenwaertigen)ことができ、直観的な表象(知覚される対象)と異なり、一定の時間に縛られることがない。だからこそ、イデーは伝統的に、時間・空間の規定を超えた、永遠な存在と考えることができたのである。もっとも、ここでも時間・空間を超える、とは、時間・空間の外にでる、というのではなく、個々の対象が従属している時間・空間的なあり方 ― ショーペンハウアーは、ドレスデン時代の後期(1816)になって、「個体性の原理(principium individuationis)[34]」という中世スコラ哲学の用語を当てる ― に支配されない、すなわち生成消滅を超えた統一と安定とを保つ、という意味に解されねばならない。

 そのような意味で、ショーペンハウアーはプラトン的イデーを「標準直観」(Normalanschauung)と呼ぶ。イデーは、個々の具体的な対象を直観するにあたって基準となる表象である。個々の具体的な対象がこれこれの対象である、と認識されるのは、ある標準直観と似ている、標準直観の模倣であると認定されるときである。その限り、標準直観は個別的な対象の原像、イデアである、と言うことができる。しかし、そのような標準直観としてのイデーは、それ自身ファンタスマとしての表象の世界に属している。ショーペンハウアーはこの時期から主著執筆の直前まで、イデーは物自体であると繰り返し書き記している。このことからも、先に指摘したように、ドレスデン時代以降の「物自体」という語は、表象の世界の外に実体としてあるもの、と言う意味ではなく、表象の世界の内部にありながら、時間・空間的な生成消滅の変転を超えて、統一・安定を保つ、と言う意味に解すべきことがわかる。

 ショーペンハウアーが、このようなイデー理解に達したのには、哲学的に見ていくつかの道が想定される。

 まず第一には、ショーペンハウアーのイデー理解が学位論文『根拠律の四つの根について』で用いている、「数学的標準直観[35]」の問題から出発する道である。「数学的標準直観」とは、すべての経験が構成されるための基準となるような形象や数のことである。例えば、ピタゴラスの定理を証明するときに心に描く直角三角形のようなものであるが、これは、ある一定の辺と角とからなるこれこれの直角三角形としてではなく、直角三角形の概念を代表するもの、概念の「代表物(Repraesentant)」として考えられているのである。この箇所の脚注でショーペンハウアーは付け足しのようにではあるが、「プラトン的イデーは標準直観であると言えよう。それは数学的標準直観の様に単に形式的なものだけでなく、完全な表象の実質にも妥当するようなもの、・・・・・概念の代表物・・・・・であろう[36]」と言っていることに注目したい。

 第二には、カントの『判断力批判』でいわれる「美的標準イデー(aesthetische Normalidee)[37]」との関連である。詳しい検討は、別の機会に譲ることにするが、「美的標準イデー」とは、構想力が、ある種に属するもののうちで美しいものを判定するために、合目的性の原理に従って、その種に属する無数の対象から抽出した範型(Musterbild)のことである、とされる。ショーペンハウアーのイデー、すなわち「標準直観」は、このカントの標準イデーを単なる美的判断の領域から認識の領域に広げたものであり、そこにも、意識を超越する存在(永遠の存在者や、意識の外の対象)の助けを借りず、表象の立場を徹底させながら世界のアイデンティティー(統一と安定)を確立するというショーペンハウアーの基本的な姿勢が看取される[38]。

 さらに、文学との関連では、ショーペンハウアーの尊敬してやまなかったゲーテの「原現象」(Urphaenomen)を、その中にまだ認められる形而上学的(実体主義的)な存在理解の残りを清算し、観念論的な意識内在の立場から整合的に叙述し、かくしてドイツ観念論の「正統派」が主観の存在構築によってもくろんだのとは異なる仕方で、世界(認識の共同性)のアイデンティティーを確立しようとしたものであると理解することができる。

 次に、意識をこの意識の問題としてのみ考えた学位論文の立場では解けなかったもう一つの問題、表象としての世界(認識の共同体)全体のアイデンティティーについても、このようなイデー理解によって答えられることになる。時間・空間に支配された個々の直観的対象の標準直観としてのイデー、と言う考えによって、個々の意識はもはや、経験の統一と安定とを「力づくの宣言」によって構築するのではない。個々の表象作用(ことに構想力の働き)の集積によって形成されるイデアを対象認識の原像として受け入れ(内化し)、いわばその模像を経験の中に見出す、という仕方で、初めて個々の対象の認識が可能になるのであり、個々の意識の活動の可能性のアプリオリな条件として、既に個別の意識を超えた普遍的な標準直観を前提することになる。このような普遍的意識の問題は、先にも述べたようにヘーゲルにあっては「精神」によって表明されているが、ショーペンハウアーはこの同じドイツ観念論的な問題を、主観が概念操作によって力づくに(意志によって)構成するのとは別の方法で解決しようとしたのである。

 2 表象としての世界の基本構造

     ― ドレスデン時代後期から主著『意志と表象としての世界』成立へ ―

 個々の対象を表す直観的な表象と、その標準直観としてのプラトン的イデーとの相互依存的な統一の全体、それが「表象としての世界」の基本構造である。この世界の構造は、それ自身のうちに個々の意識(意識の経験)の次元と、意識の共同性(表象としての世界)の次元とを繋ぎあわせている。かくしてショーペンハウアーは、意識を超越した物自体を前提せずに、人間の二重のアイデンティティー、人間の個としてのアイデンティティーおよび人間の共同性のアイデンティティーの問いに答えることができたのである。

 このような世界理解、ことに標準直観としてのプラトン的イデーの解釈は、これまでのショーペンハウアー解釈では顧みられなかった点であるが、ショーペンハウアー哲学のもう一つの幹、「意志としての世界」の構造を統一的に理解するためには不可欠な要素である。

 以上のような構造の表象世界は、通俗的な理解、表象としての世界は意志の現象であるという理解に反するように見える。イデーは、意志からではなく、直観的表象を基礎として、構想力と理性とによって成立するものである、と言われるのだから。ところが、意志の問題を論ずるにあたって、ショーペンハウアーはイデーを成立させる構想力とは、意志が認識能力に働きかけたものである、と言う。この点でイデーはふたたび意志との関係を獲得する。しかし、それによって浮かび上がる意志とイデーとの関係は、これまで通説となっていた世界実体としての意志と、その表象世界へ現象する最初のステップとしてのイデー、という関係とは大いに異なる。ショーペンハウアー哲学の成立にあたっては、世界実体というよりむしろ個々の認識、および認識の共同性の制約としての意志、経験と表象との全体(世界)を繋ぎ止める(zusammenhalten)超越論的哲学的な制約という意志理解こそが本質的であり、通俗的、形而上学的な理解は、むしろ二次的なものであることが明らかになるであろう。この点については、第二部『若きショーペンハウアーにおける「意志としての世界」の構想』として論じたいと思う。

 この第一部では、最後に次のことを指摘するにとどめておこう。主著の中には、「意志の現象(客観化)としてのイデー」と、「構想力と理性との共同作業によって成立するプラトン的イデー」という、一見対立する表現[39]の他にも、上のような世界の構造を前提としなければ不可欠な表現が認められる、ということである。主著第三部で、芸術家はプラトン的イデーを感性的に再現する、例えば、永遠のイデーの模像を写し取り(abbilden)、大理石に刻みつける(aufdruecken)、と言いながら、同時に、芸術家はまだ実現されていないイデーを先取りする(antizipieren)のだ、とも言う[40]。この矛盾も、直観的表象(個々の対象)とイデー(標準直観)の相互的な依存関係としての世界という立場からのみ、整合的に理解できる問題である。(未完)

[1] この点について詳しくは、『世界の名著・ショーペンハウアー』(中央公論社、本稿における『意志と表象としての世界』からの引用は、この版による)の西尾幹二著「序文」、兵頭高夫『ショーペンハウアー論』(行路社)、遠山義孝『ショーペンハウアー』(清水書院・人と思想シリーズ)などを参照されたい。

[2] 『意志と表象としての世界』、111ページ[WI, 3(§1)]。[ ]内は、ブロックハウス社ショーペンハウアー全集の引用箇所表示法による。

[3] 『意志と表象としての世界』、262ページ[WI,131(§21)]参照。

[4] 『新約聖書』、ロマ書(ローマ人への手紙)6章23節。

[5] G.E.Shulze[anonym], Aenesidemus, 1792, S.440参照。

[6] Fichte, Recension des Aenesidemus, 1792.

[7] Schelling, Saemtliche Werke, Stuttgart/Augsburg 1858 ― 1861, VII, 350.

[8] Fichte, Werke, Berlin 1971, X, 405f 参照。

[9] 『ショーペンハウアー遺稿』(Schopenhauer: Der handschriftliche Nachlass, DTV, 以下、『遺稿』と略記、引用箇所表示にあたっては、同版引用法による。)、HN II, 82 ― 216.

[10] 『遺稿』、HN I, 7 f. §21 [1].

[11] 『遺稿』、HN I, 10.

[12] 『遺稿』、HN I, 11.

[13] Ibid.

[14] 『遺稿』、HN I, 13.

[15] 『遺稿』、HN II,309. シェリングの絶対者の概念は、本来単なる最高実体ではなく、主観的な媒介をも取り込んでいるのであるが、その背後には常に真なる存在としての神の概念が予想されていたのであり、このショーペンハウアーの絶対者理解は、そのようなコンテキストにおいて理解されるべきである。

[16] 『遺稿』、HN II, 309 参照。

[17] 『遺稿』、HN I, 26.

[18] 『遺稿』、HN I, 34.

[19] 1813年の初版(ブロックハウス版全集第七巻に収録、Goと略記)は、第二版(1847年)[G]を底本とした現行のもの(白水社ショーペンハウアー全集第一巻に収録)とはかなり異なる。

[20] Go, 18.

[21] Go, 72.

[22] C.L, Reihnold, "Neue Darstellung der Hauptmomente der Elementarphilosophie"(『エレメンタール・フィロゾフィーの主要契機の新叙述』)、Beytraege zur Berichtigung bisheriger Missversaendnisse der Philosophen, Jena 1970, S.167.

[23] 『意志と表象としての世界』、144ページ [WI, 30 (§7)]。

[24] Kant: Kritik der reinen Vernunft (『純粋理性批判』), B 50.

[25] Go, 21 ― 25 参照。

[26] Go, 29 参照。

[27] Kant: Kritik der reinen Vernunft, B 197. また Go, 70 参照。

[28] Go, 77.

[29] Hegel: Phaenomenologie des Geistes (『精神現象学』), Hamburg 1952 S.313.

[30] 『遺稿』、HN I, 76.

[31] 『遺稿』、HN I, 96.

[32] 『遺稿』、HN I, 130 f.

[33] 『意志と表象としての世界』、166ページ、422 ― 423ページ[WI, 48(§9), 262 (§45)]参照。

[34] 『遺稿』、HN I, 282, また、『意志と表象としての世界』、二66ページ[WI, 134]等参照。

[35] Go, 62.

[36] Go, 63.

[37] Kant: Kritik der Urteilskraft (『判断力批判』・原点版), S.56.

[38] ショーペンハウアーのイデア論が、カントの「美的イデー」を純粋理性批判の「範疇論・図式論」の位置に据える試みである、という点については、拙著 Der junge Schopenhauer: Genese des Grundgedankens der Welt als Wille und Vorstellung. Freiburg/Muenchen: Alber, 1988, S. 168 f. 参照。

[39] 『意志と表象としての世界』、166ページ[WI, 48(§9)], 324ページ以下[WI, 182 ff. (§ 28)] 等参照。

[40] 『意志と表象としての世界』、367ページ[WI, 217 (§36)], 422 ― 423ページ[WI, 262 (§45)]等参照。

☆武蔵大学人文学会雑誌第十九巻第三・四号(昭和六十三年三月)所収





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